
ナイルレストラン、筆者の若い頃の思い出と現在。
わたしがナイルレストランへ通い始めて随分経った。たしか80年代半ばあたりからであったと記憶している。それはつまり店のドアが紫色のガラス扉であった頃から、ということになる。
物知らぬ学生にはちょっと入りづらい、紫色のガラス扉を開けるとインド人ウェイター氏が迎えてくれる。日本人から見れば無愛想に見えるかもしれないが、実は彼のホスピタリティには感心させられることしばしば。あれから40数年経ったいまでも1階でホールに目を光らせるナイルレストランの守護神、ラジャンさん。この店のの番頭さんだ。彼がホールにいると安心感を強く感じる。そしてわたしも40年前と変わらずにナイルレストランに通っている。
そんなラジャンさん、ひとりで店に行くと1階ホールの席を示してくれる。そこへすかさず「善己さん、いる?」と聞くとすぐに2階の席を案内してくれるのだ。

名物、ムルギーランチを頬張る。
当時のテーブルの天板には「日印親善は台所から」と大書きされており、それを眺めながら名物のムルギーランチを頬張ったものだ。キャベツの甘み、マッシュポテトのまろやかさとチキンの深い味わい。よく混ぜて味が行き渡ったごはんをほおばり、舌でかきまわせば広がる多幸感。他では味わえない完全無欠のひと皿である。
ムルギーランチは間口が広いが奥も深い。食べ手の舌の経験が多くなるにつれ新しい気づきを与えてくれる。素材の良さからくる味わいと調和あるスパイス遣い、混ぜて食べることの意味と創業者の出身地のこと。どの要素も1つ欠けれはムルギーランチではなくなってしまう。わたしはその気づきに至るまで40年かかった。楽しい40年だ。これこそインド料理とニッポンのカレーライスを繋ぐミッシングリンクなのでは、など想像している。
その後、社会人になって10年ほど経った。数度の転職ののち縁あって歌舞伎座裏の焼鳥屋の雇われになった。自店の昼営業が終わってから前掛け姿のままナイルレストランに邪魔したがそんな客も差別なくもてなしてくれる懐深さがある。歌舞伎役者も焼鳥屋もここでは平等、ということなのだ。真に銀座の老舗らしいあしらいである。
ナイル善己さんに聞いた。
実は当時、いまは亡きA.M.ナイルさんにお声をかけられた思い出がある。いや、同じテーブルの隣の席に座られたというのが正しい。
わたしが1階奥の席に着き、ムルギーランチがやってくるのを待っていた。さて、とやってきた皿に手を伸ばすと隣にインド人が座ってきたのだ。何やらこうやって食べろとわたしのスプーンを奪い取り皿をつっつき始めた。緊張と驚きで固まっていると早く食べろとせっつかれた。そして食べている私の横顔をじっとみているのだ。大いに混乱した。
インド独立運動の志士であり歴史上の人物であるA.M.ナイルさん。ラス ビハリ ホースに協力したり太平洋戦争終結後の有名な東京国際裁判でインドのパール判事の通訳を務めたこともある。冗談ではなく歴史で習う場所に立っていた人。当時はそんなことも知らずにいたが、その時の様子を現在ナイルレストラン代表を務める三代目のナイル善己さんに話してみると面白そうに聞いてくれて「たぶんそれじいちゃんです」とおっしゃる。
三代目のナイル善己さんとも付き合いが長くなった。とある食事会でご一緒した事があった。ニヤニヤせずキリッとした表情。無口で淡々と手を動かすという印象だった。ご自身もゲストなのに女性の分の料理をサーブし、わたしにもさっさと取り分けてくれる。こりゃあ女性にモテるタイプだと妙に納得した印象が残った。
祖父は歴史的役割を担ったインド人、父はテレビにもよく出る有名人という環境で育った善己さん。ある日お父様が作る自宅のカレーが他の家と違う事に気づく。それまでは当たり前だと思っていたものが、他の友達たちの家庭のものとは根本が違うことを思い知る。

背負うものの大きさ。
祖父と父の店は日本でも有数の有名店。それを外の人、友人や客から教わった。まわりの大人に「君のお父さん有名人だよね」「ナイルレストランの子息であることは特別なのだよ」という言葉からナイルレストランという店を意識しはじめた。本人は環境として当たり前のものだったが、改めてその重さを知ったという。
はたちを過ぎて仕事で店に入ると、その言葉の本当の意味を思い知り、看板の重さが身に染みてくる。そういうなかで磨かれ、成長を経て「いまではナイルレストランはもう一つの我が家だと感じています。」という。
お父様のスタイルと善己さんのスタイル
お父様のG.M.ナイルさんは人前で観衆を楽しませることが好きな好好爺。それに対して「自分の大切な柱は料理です」と善己さんは言う。しかし彼もやり方は違えど料理で人を楽しませるという共通点を持って日々店に立っている。常連さんから「君も必ずお父さんみたいになるよ」とよくいわれるそうだ。それを笑いながら話す善己さんに好感を覚えずにはいられなかった。今でも十分にお父様のそういう良い部分を受け継いでらっしゃると感じるのだ。

時代を越え100年目に向かうナイルレストランへの想い。
ナイルレストランには変えてはいけない絶対の味というものがある。伝統ある料理を決して変えない、動かさないという強い意思。同じ料理をずっと続けてゆくにつれ、その対になる、時代を読み新しいチャレンジをする瞬発力。現在のニーズに合っているかどうかを手探りすることも、同じくらい大事に考えるようになった。その両方が善己さんの腹の中に醸成されている。
「自分の代で創業100年。個人という範囲を越えた伝統を守るという責務を全うせねばならないのです。」と淡々と話す彼の横顔に男らしい静かな覚悟というものが垣間見える。
店舗データ
店舗名 | ナイルレストラン |
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住所 | 東京都中央区銀座4-10-7 |
交通 | 東京メトロ日比谷線 都営浅草線 東銀座駅 A2 徒歩1分 |
電話 | 03-3541-8246 |
営業時間 | 11:30〜21:30(日曜のみ20:30) |
定休日 | 火曜日 |
URL | https://www.ginza-nair.com |
地図 |
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